日韓関係に関する所感1

日韓関係に関する所感1

話題とは随分簡単に変わるものである。つい最近までテレビや新聞で見ないことがなかった日韓という文字は今日においては大分薄まった。故にこれを書くのも少し遅れたかとも思う。だからといって現在進行形のこの問題に関して書かずに他の話題を書こうというのなら何だかこの話題から目を背けたような気がする。これはどうにも気にくわない。さらに言えばメディアの一過性の注目が終わった後でもこの問題に関して考えを巡らしている人もいる。そう考えるとやはりこれを書こうと思えるのだ。

(1)韓国に対する個人的認識
友人や他者と政治談議やらをしていると私はわりと国粋主義的だと言われる。 私個人としてはそうは思ってはいないがそういった一面もあるのだろう。だからかわからないが私は韓国に対していいイメージは持ってない。嫌いだと言えば言い過ぎかもしれないが「国際社会における態度は目に余るものがある。」「自分の立場をとても認識している行動とは思えない。」と思うことは多々ある。しかし、韓国人が嫌いだというわけではない。韓流アイドルが日本で受けていることに嫌悪感はないし、日本のアイドルの一部が韓流に寄っていっているなと思うこともあるがこれも別に生きるためなんだろうと思う。チーズタッカルビも重いかなと思うが食べる時は食べるしキムチは好きだ。今でもあるかはわからないが犬を食べる習慣というのには少し引くところもあるがそれも歴史の中の文化の一部であれば否定するものではない。
政治の分野だけで見ればあんなにも素直になれない国はないなとも思う。「昼は反日、夜は親日」という言葉がある。こんな激しい「ツンデレ」は「ジキルとハイド」以来だろうか。

行ったことはないが反日を言う割には日本に観光に来るし反日だと聞くが日本人も観光に行く。どうにも不思議だなと思う。何でこんなに文化交流があって、観光客も行き来し、経済的にも部分的に協力し合っている。ではなぜ彼らは突如として顔色を変え高らかと叫ぶのだろう。情緒不安定なのだろうか。失礼だが疾患があるように感じてしまう。政治も社会も反日精神が内在しながら生活し日本と付き合っているなら彼らの精神はどんなに複雑なのか。すごいポーカーフェイスだなと思う。だが感情をむき出しにデモをするその姿にそのような精神の複雑さは感じない。
私は韓国という国にいいイメージを持ってない。それは彼らが信用できないというのがきっと大きい要因だと思うのだ。反日という言葉やイメージが個々の意識を覆っているのではないか。個々の意思の自由を奪っているのではないか。反日の言葉は一過性の流行なのか、それとも本音なのか。このような疑問が尽きず私は彼らのことが苦手だ。

(2)歴史で見れば彼らは反日で当然
韓国の歴史。もっと言えば朝鮮半島の歴史においてきっと朝鮮人は日本のことが嫌いというよりいいイメージは持たないだろう。きっと侵略者だと思っていたのではないだろうか。古くは「白村江の戦い」「豊臣秀吉の朝鮮出兵」「日清戦争」「韓国併合」彼らは大陸の一部であり、日本は島国。彼らはずっと大陸の一員だった。朝鮮半島の国家は中国への朝貢国の一つであり、中華思想の一部。事大主義的な国家・国民だった。そこに日本は手を出してきた。きっと彼らからすれば侵略しに来た以外の理由は思い浮かぶ余裕もなかったことだろう。それくらい私は彼らの思考は閉鎖的だったのではないかと思っている。

その時々の朝鮮半島の支配者は日本のことを下に見ていた。その根拠もとても文明や社会を比較しての判断ではなく朱子学的な思想によるものだ。しかし現実として明治の段階で日本の文明は遥かに朝鮮半島に勝っていた。結果としての韓国併合。しかし、これも様々な理由があっての併合であるし当時の帝国主義全盛の時代において何ら疑問の余地もないことだった。ロシアの南下政策の一部としての朝鮮半島と日本に併合されての朝鮮半島。所詮はifの話であるがどちらの方がよかったかと聞かれれば考えずとも答えがでるだろう。しかし、日本に併合されたと言う事実は韓国側にとって嬉しい話ではなかった。抗日意識ゆえの「伊藤博文暗殺」(所説あり)「三・一独立運動」だと思う。さらに初代韓国大統領の李承晩は韓国併合時代対日抗争に明け暮れた人間だ。彼が初代大統領である時点で韓国は何を思想の基盤として建国されたかは簡単にわかる。韓国は「日帝からの独立」「日本の排除」「我々支配し屈辱を与えた日本を忘れるな」こんな感じで、反日によって建国された国家なのだ。

彼らは建国を連合国によるものではなく自国民族による抗争の結果だというのだ。この手法はフランスのド・ゴールの手口と似ている。しかし、この二つにおいて決定的に違う部分。それは、ド・ゴールは自ら1944年にパリに凱旋する。しかし韓国においては1948年まで連合国(主にアメリカ)の信託統治だったということだ。別に自分で取り返したわけではない。結果として建国できたというだけだ。しかし、「アメリカのおかげで建国しました」なんてことは言えない。(もしこれに恩を感じ国家建国の思想の基盤としたならアメリカの望む日米韓の関係をこじらせるようなことはしない。) だから、彼らは反日という歴史の汚点の脱却としての独立という印象を建国の神話のように語り今日まで歴史を紡いでいるのだ。ならば反日にも納得がいく。それが建国の思想基盤ならこれを容易には改善できないだろう。

どこかのメディアの記事には建国当初の韓国政権は親米・親日政権だと書いてあったのを見た。李承晩は親日だったと。これには驚きが隠せない。日本が独立する直前に突如、李承晩ラインなる根拠も何もない国境線を引き竹島を実効支配している。日本の独立直前の行動というのがまた計算されているようで嫌ではないか。このような身勝手をするような国家元首を果たして親日だと言えるだろうか。彼らは親米ではあったが親日ではない。本当に親日政権であるかは政治や社会に対する指針や発言ではなく結果でしかわからない。このような韓国に対して日本は「近寄りがたいね」と距離を置くのではなく友好関係を築こうと努力し日韓基本条約を結んだ。韓国に対し金を払い日韓の問題は完全に国際法上終わりを告げた。しかし、ことは全く順調に運ばない。領土問題は解決に至らず今日まで引きずり、冷戦の中頃には靖国問題や教科書問題が勃発。冷戦が終われば慰安婦や徴用工の賠償など。反日が根っこの国家であれ、なぜそのような国家へ成長してしまったのか。それは国民へのアピールなのか。個人的な日本への感情が起こすものなのか。そうやって金をもらわないとやっていけないほどに国内経済が危ういのか。もしそうなら早く別の解決法を探さないと崩壊するのがわからないのかなど心配は絶えない。

(3)ネトウヨと有識者の発言や行動は怖い
「反日」と言う言葉は韓国側の意見。一方で「嫌韓」と言う言葉もある。「嫌韓」=ヘイトという風に捉える人もいるが、では彼らの「反日」もまたヘイトだ。ヘイトという言葉が何を指すのかがもうわからなくなってきている。だが、ヘイトのイメージは「怖い」とかいうものではないだろうか。夏以来、嫌韓ムードが続いているがそのムードの中で飛び交うネトウヨの言葉の中には語気の強いものも多く聞こえていた。この嫌韓に対する反応は昨今言われる日本の右傾化の一部だろう。これに対して有識者はこの日本の右傾化を危惧するような発言をする人が多いと感じる。私からすればこの警鐘は異常なまでに出過ぎた真似だ。進歩的文化人から続く右翼や保守などへの思想を批判しこれらの思想が広まることを抑制しようとする動きは一種の思想の自由への反抗だと感じている。

例えばこないだの週刊誌で韓国に関する記事が攻撃的であるとして一部の人間から批判があった件。私はあの記事に関して「謝罪を求める」とか「失望したとか」「もう仕事はしない」などの反応をしている知識人を見て、それをわざわざSNSで述べる必要があるのかなと疑問に思った。言論・出版の自由が保障されている我が国でどのような記事を発表しようとそれは自由だ。これに対して「謝罪をして自粛しろ」というのは言論の自由の否定であり、私はこの風潮に恐怖を感じる。傷ついたから謝れ。これを署名や著名な人の発言を持って助長する。あまりにも暴力的ではないだろうか。数の力でもって広い喧伝を用いてこれを行う。現在のメディアは偏見かもしれないが金もうけが目的だ。故に強い言葉を使って売り上げを伸ばすために嘘や過剰な言葉を書く。それは周知の事実だ。さらに言えば有識者もそのようなメディアの過剰な煽りも知っていることだろう。私にとってあの記事に関する批判は上辺の言葉を取って「そのような発言をするような会社は最悪だ」と喧伝し大衆に訴えかけているようにしか見えない。有識者であれ上辺の言葉で会社を見るようになってしまったのだろうか。内部の人間もみんなひとくくりに嫌韓派だと決めつけるようだ。この行動に日本の有識者も批評家も感情的なのか、それとも商業的なのか。何とも恐ろしいものだと思ってしまった。出版社は別に謝罪をする必要はないし、忖度をする必要もない。言論は開かれているべきだ。批判する有識者も同じ雑誌で意見の違う別の識者と会談するとか。討論してそれを記事にするとか批判は批判でもやり方はいくらでもある。大衆に訴えて悪いと扇動するのはどうなのかと私は疑問を持っている。

さらに私はネトウヨの韓国に対する厳しい意見もまた危険に見える。彼らは感情的だ。排外的で苛烈だと感じる。その発言の趣旨の中には賛同できるものもあるし、疑問を感じるものもある。それはさっきの有識者にも言えることである。双方共に賛同できる部分もあるし反対だという部分がある。両方とも感情的でヒステリックに見える部分がありそこが恐怖を感じる原因だと私は推測する。ネトウヨの中には冷静な人もたくさんいる。しかし、一部の人の苛烈な言葉が取り上げられネットの識者全体が危険だとまとめられてしまう。これでは一部の人にとっては風評被害もいいとこだ。差別化してもらわないと彼らの言葉が死んでしまう。苛烈な発言をするものの中には政治的経済的影響を無視した言葉をたくさん聞こえる。「戦争」「断交」「在日排除」などだ。細かく見たとき(例えば特権があるとか)。これを廃止せよというのは当然賛同できる。

しかし、断交・戦争などと言ったものは到底賛同できるものではない。朝鮮人と関わるべきではないと言う意見も多数あるがそれが現実的にできることなのかと言われたらそれは不可能だというのはすぐにわかる。戦争なんてもってのほかだ。本気で言っているならこれは由々しき事態だ。日本と韓国の文化交流や経済は双方に利益が上がっている。彼らは不買運動などをやっているが長続きなどしない。しばらくしたらまた買い始める。日本にも観光に来るし逆に日本人も韓国に観光にいく。このような個人の動向を制限するのは間違っている。彼らが来たいなら来ればいいし、日本人も行きたいなら行けばいい。これは各自の自由に任せるべきだ。彼らの言う歴史の遺恨がつくる経済停滞は一時的なもので長期的に見れば改善はされる。一部の排外的意見によって個人の意思の自由が侵害されることはあってはならないことだ。それは日本にも韓国の両方に言える。嫌いなのは構わない。なら近づかなければいい。在日排除という意見についても「日本が嫌いだが日本に住んでいる」というと「噓つきかな」「それとも日本語が弱いのかな」と思う。矛盾しているからだ。好きである必要はないが、疑問として「なんで嫌いなところに住んで仕事して金稼いでその上で文句言ってるの。」と聞きたくなることは多々ある。だから嫌いなら日本から出ればいい。全て個人の自由だ。「日本が嫌いなら日本で仕事をしない方がいいだろう。だって精神的に苦痛だろうから。その言葉に偽りがないなら助ける意味を込めて言わせてくれ。国に帰った方がいいのでは。」これを提案することを私は悪いと思わない。相手が日本を嫌いだと意思表示をしているのなら。

苛烈な発言をするネトウヨも感情的になるのではなく、何ができて何が難しいのかというのをわかった上で発言したほうがいいと考える。だが、同時に商業的要因から苛烈な発言をしている「ビジネスネトウヨ」もいるのだろうなと考えるとこの問題はなくならないのだろうとも思う。この感情的な喧伝に影響されないように各自が見識を深めることがこれからの社会において重要になっていくことだろう。

②に続く

polimos管理人 オカソ

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