【隷従への道③】ハイエクVSマルクスー現実は理想郷にできない―

【隷従への道③】ハイエクVSマルクスー現実は理想郷にできない―

・中央集権制度は自由主義ではない

 これは本編ではあまり多く話してないことだ。中央集権制度の特徴だが、中央政府が国家全体に影響力(強権)を行使できる状態を指す。日本の場合、廃藩置県・版籍奉還など。これだけの大改革を短期的に行うには中央集権ではなければできない。官営工場などの存在も考えると初期の明治日本は産業を国家が牽引し、これが徐々に民間に移行され発展していったと考えるのが正しいだろう。「お上意識」というものはこの過程をもって生まれたとされている。

ドイツにおいては、これが近代において顕著だった。ドイツは国家統一から産業の発展、欧州で影響力を拡大していくにあたって基本、国家主導によって達成されていた(ビスマルク、ヒトラーなど)。これらは産業発展を速やかに行える点でいいのだが、計画主義だ。ソ連においてもそうだったが、計画主義においては計画で発展できる飽和点が存在している。この飽和点の先の発展は自由主義によって達成されるのだ。自国の発展においていくつもの手法が存在しているが、計画主義における成長の限界は歴史が証明しているということは重要なことだろう。ちなみに飽和点以降も計画主義で発展を目指すと現在の日本やかつてのソ連のように停滞する。

・市場競争の果ては競争の放棄か?

 計画主義者は当時「市場競争の先、その果てに独占など競争の放棄が待っている」と喧伝していた。これが事実であるのか。経済学においてよく言われるのが経済理論と実態経済には大きな齟齬があるということだが、計画主義者のいうそれも齟齬の一種だ。ハイエクは計画主義者のいう「競争の放棄」も可能性としてあると認めるが、それはあらゆる可能性の一部でしかないとする。そしてハイエクは独占や寡占が生まれる最たる要因について国家の政策による場合が多いという。中途半端な計画主義は自由主義でもなく計画主義でもない一部利権を生み出す最悪の形になることを示したのだ。現在の既得権益層はこれにあたるだろう。

・ 計画主義者の意見は事実なのか

 競争の果てが競争の放棄であるならば、それは最も資本主義が進んだ社会で発生しないとおかしい。計画主義者と同じようなことを言っていたのはマルクスだ。マルクスもまた資本主義の果てに共産主義があるとした。そのためマルクスはロンドンで第一インターナショナルを創設する。これは当時最も資本主義が進んでいるイギリスが革命の可能性があると信じたからだ。

では結果はどうだったのか。現実にイギリスにおいて共産主義革命は発生しなかった。計画主義者のいう競争の果ての競争の放棄についても同じように現在いたるまで競争の放棄は発生していない。むしろ多極化し、業界によっては寡占も発生しているし、競争の激化なども起きている。このように彼らの意見は一部意見を大きく取り上げただけで事実ではなかったのだ。

・夢はあくまで夢でしかない

  理想主義者の意見は心地よく聞こえるだろうし、その熱のある弁は目を見張るものがある。しかし、それが現実に事実として発生しているかというと疑問が生じてしまう。これこそが理想主義の難点だ。夢はあくまで夢でしかない。現実にユートピアをつくることはおこがましいのだ。これを無理に達成しようとすると全体主義国家になる。

環境においても現在進行形で様々な政策が画策されているがこれを民意に問うことなく、政府が自らの理想であるとして強権的に国民に協力を強いるのは非自由主義だ。理解をして協力してもらう努力もせずに強行するのは計画主義者の発想であり、大問題だということも知ってもらいたい。

夢を持つことは結構だが、それを他者に押し付けた瞬間から全体主義の気配が始まっていることに気づいてもらいたい。個人主義・自由主義において重要なのは他者の尊重、そして寛容だということを改めてここで強調する。

次回は年内に投稿したいが、まだ何とも言えない。なるべく努力しようと思う。次回投稿までお待ちください。

Polimos管理人 オカソ

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